上井草商店街のあゆみ

年度 会長/理事長 主な出来事
平成28年
(2016年)
川元賢一郎 恒例・夏まつりにサンバカーニバルを招致。10月には初イベント「かみいぐさハッピー・ハロウィン」を開催し、いずれも好評を博した。商店街振興組合創立50周年記念事業として、上井草商店街・サンケイリビング新聞社主催による「上井草商店街 お宝発掘総選挙」を10月実施し、商店街「お宝10」の結果発表を12月行った。防犯カメラ8台を駅周辺エリアに設置。緑化事業にも引き続き力を注いだ。地域事業への協力では、6月早大ラグビー部北風祭、9月地域区民センターまつり、3月春まつりなど。組合員89名。
平成27年
(2015年)
川元賢一郎 前年度末に街路灯LED化工事が完了した結果、電気代が従来の1/3にまで減少した。東京新聞「東京どんぶらこ」、西武鉄道ニュース「笑顔びより」にそれぞれ上井草商店街加盟店等が紹介された。恒例の「かみいぐさ夏祭り」を開催。阿波踊り大根連と、今川町睦会の万燈みこしを招致した。「振興組合創設50周年」を次年度に控え、環境整備の一環として、上井草駅南口ベンチ2台を新調した。
平成26年
(2014年)
宮崎桂一 近い将来、「西武新宿線連続立体交差事業」と「東京外環環状道路の延伸」が予定されている。上井草の街と商店街に大きな影響を与えるこの二事業の動静を見守り、積極的に関わっていくため「上井草駅周辺地区まちづくり協議会」に理事数名がメンバーとして参加した。5月に「上井草駅周辺地区まちづくり構想」を杉並区長に提出したが、協議会は以後も活動を継続することとなった。商店街事業としては、今年度も緑化等の環境整備に注力。10年来のテーマ「アニメとラグビー」にも継続的に取り組んだ。前年度末にリニューアルした商店街Webサイトの運用を開始。11月に街路灯LED化工事着工。翌2015年2月に完成し、街の景観が一新した。恒例の「かみいぐさ夏まつり」イベントには阿波踊りと万灯御輿を招致し、2日間で5000人の集客があった。組合員91名。
平成25年
(2013年)
宮崎桂一 平成23年9月、杉並区役所発案により「上井草駅周辺地区まちづくり協議会」(地域住民会員86名)が発足。その中で多くの意見が出され、商店街に活気が乏しいなど厳しい意見もあるが、住みやすい、緑が多い、レトロでのんびりしている等、肯定的な意見も多く、環境自体は恵まれていると再認識させられた。そこで目先の販促よりも、環境整備に力を入れた年になった。緑化促進。26年3月にはホームページの全面リニューアル(区の補助金使用)実施。さらに4月には3年越しに補助金申請していた街路灯LED化に内定がおりた。組合員95名。
平成24年
(2012年)
山本忠 昨年に続き「かみいぐさ七夕まつり」を中元売出の時期に合わせ実施した。「かみいぐさ夏まつり」「緑化事業」等順調に実施された。
平成23年
(2011年)
山本忠 初めての試みとして「かみいぐさ七夕まつり」を中元売出の時期に合わせ実施した。提灯、のぼり、で飾り付けし、セブンイレブン、ファミリーマートの店舗でガラガラポンを行った。期間中、南相馬市復興事業募金活動を行った。別冊Vinci かみいぐさMAP(碁盤坂MAP)を発行。大好評を博した。その他の事業も順調に実施された。組合員数100名。
平成22年
(2010年)
山本忠 「かみいぐさ冬市」を前年同様ラグビー「早明戦」に合わせ開催した。他の事業も前年同様工夫を凝らしながら実施した。組合員104名。
平成21年
(2009年)
山本忠 かみいぐさアニメまつりを「かみいぐさ冬市」の名称で、ラグビー「早明戦」開催日に合わせアニメとラグビーをコラボさせ実施した。他に例年通り「かみいぐさ夏まつり盛大に開催」「歳末売出実施」「フリーペーパーVinci3号発刊 」「ホームページ更新作業」「緑化事業推進」組合員109名。ここ4-5年で組合員数がだいぶ減っているが、実態としては10数年で段々と減ってきており、出資金返還の関係で実態と若干違った。現在は実態通り。
平成20年
(2008年)
山本忠 今年も歳末売出を行った。毎年大切な事業として中元、歳末あるいはどちらか実施しているが、三角くじやがらがらなど方法と景品について工夫を懲らしつつもより新しい何かが必要。フリーペーパーVinci2号を発刊。緑化事業もプランター設置30店に達した。「かみいぐさアニメまつり」ガンダムモニュメント2周年を記念して富野由悠季監督の講演会井草中学体育館開催。強風の中、350人出席。街路灯のペナントすべて交換。ガンダムと早稲田ラグビーの表裏デザイン。組合員113名。
平成19年
(2007年)
山本忠 平成20年3月23日ガンダムモニュメントがとうとう完成。第5回「かみいぐさアニメまつり」を完成と同時に、ワセダクラブの協力のもと、早稲田ラグビー部体育館にて開催し過去最大の観客を動員した。フリーペーパー「Vinci」第1号1万部発行。今後継続的に発行予定。緑化事業への本格的取り組み開始。
平成18年
(2006年)
鈴木定雄 「かみいぐさアニメまつり」(3月開催)は4回目にして会場を早稲田大学ラグビーグランドに移し、最も大がかりなイベントとなり過去最大の観客を動員した。組合員132名。
平成17年
(2005年)
鈴木定雄 「千客万来アクティブ事業」3年目(助成金最後の年)ということでアニメまつり、シャッターアニメ画やアニメフィルム作製など実施してきた。ひとつ「ガンダムモニュメント作製」だけ実施できなかった。これは今後とも作製に向け活動していく。早稲田ラグビー応援については、今年も順調に実施した。4月の入部式、7月の北風祭、9月のワセダクラブ2周年行事、秋のソフトボール大会、12月の餅つき大会、1月のラグビー大学選手権応援、そして感激の全国大会優勝パレードと祝賀会開催。町を挙げて近隣町会、商店街と協力して応援した。組合員数142名。
平成16年
(2004年)
鈴木定雄 「千客万来アクティブ事業」2年目にあたり、アニメまつり他「アニメとラグビーの街」事業を順調に実施した。平成15年発足したワセダクラブの1周年行事へも協力した。好評のソフトボール大会は来年からワセダクラブへ移管する。
平成15年
(2003年)
鈴木定雄 今年度から区の助成金事業「千客万来アクティブ事業」(3年間)が承認され、第一弾として「アニメまつり」(15年秋)開催した。3年間の事業計画は「アニメとラグビーの街」周知のための各種取り組みであり、具体的には「シャッター描画アニメ」「フラッグ、アニメとラグビー」「ガンダムモニュメント作製」「アニメまつり等イベント」「ラグビー部イベントや行事への協力」等企画した。ホームページ立ち上げ後、若手の理事を中心にパソコンやホームページの勉強会を毎週開催し更新等意欲的に行っている。「中元歳暮の売出」については毎年工夫を凝らし実施している。
平成14年
(2002年)
鈴木定雄 14年7月、早稲田大学ラグビー部入居。9/15オックスフォード大学とオープニング試合。「アニメタウン上井草」の推進と「早稲田大学ラグビー部」応援を商店街の大きな2本柱とした。なお移転早々の平成15年1月に全国大学選手権優勝。近隣町会商店街皆で優勝パレード、祝賀会を開催した。14年7月に念願のホームページを立ち上げた。その後も順調に更新作業を行っている。ソフトボール大会は参加チームも増え続け、井草中学から上井草スポーツセンターへ会場を移動。組合員数141名。毎年恒例の「夏まつり盆踊り大会」は今年から「かみいぐさ夏まつり」と名前と内容を一新し盆踊り以外の内容も盛大に行った。
平成13年
(2001年)
鈴木定雄 アニメタウン上井草の推進。今年度はアニメ関係者懇談会(理事の入る)を開催しアニメやまちづくりに対して様々な意見を出し合った。三菱信託銀行グランド跡地は早稲田大学買取に決定した。ホームページを新設すべく勉強開始。
平成12年
(2000年)
鈴木定雄 従来から唱えていたアニメタウン構想につき、杉並区も積極的になり、当商店街としても前向きに活動していく。とりあえずペナント第二弾作成した。「元気を出せ商店街」補助金は今年も「夏まつり盆踊り大会」「ペナント事業」「長いす設置」に計150万円いただく。ソフトボール大会ますます人気。
平成11年
(1999年)
鈴木定雄 三菱信託銀行グランド跡地(現早稲田大学ラグビーグランド)利用にたいし積極的に関与。初めて「元気を出せ商店街」活性事業の補助金を受け、「夏まつり盆踊り大会」と「ペナント事業」に約220万円の助成金を杉並区よりいただき活動が大きく広がった。新設した街路灯にペナントを新設したが、片面はデザイン一般募集し、片面はアニメ(サンライズ社協力によりガンダム)デザインとした。10月に電光掲示板事業スタート。久しぶりにソフトボール大会(井草中学)開催し好評。
平成10年
(1998年)
堀英信 記念誌発行
平成9年
(1997年)
堀英信 30周年行事開催。街路灯116基立て替え完了。上井草の街が生まれ変わる。
平成8年
(1996年)
堀英信 振興組合発足30周年を迎える。しかし、街路灯事業が次年度へ繰り越しになったため、種種の周年行事も来年度に実施することとなった。区立特養ホーム実働準備。
平成7年
(1995年)
堀英信 30周年を翌年に控え準備委員会(街路灯立て替えを含む)を設置。
平成6年
(1994年)
服部道明 特記すべき事項はないが、例年通りの事業が順調に行われた。
平成5年
(1993年)
服部道明 国政激動の年、自民党長期政権から細川連合内閣へ。盆踊り大会会場を広大な空き地へ移し、盛大に開催。杉並区商店・照明コンクールで上井草から2店舗が受賞。
平成4年
(1992年)
服部道明 杉商連北部地区ソフトボール大会出場、9年目で初優勝。盆踊り大会も大盛況。
平成3年
(1991年)
服部道明 バブル大崩壊で厳しい年。上井草診療所で毎月第一火曜日無料血圧健康診断実施。
平成2年
(1990年)
服部道明 組合事務所建て替え。多目的に使用出来るようになる。
平成元年
(1989年)
服部道明 売り出しは福引きからスピードくじへ変え好評。街路灯全面塗装工事終了。新組合員10名入会。
昭和63年度
(1988年)
天野文治 婦人部障害者ミニ運動会参加。
昭和62年度
(1987年)
天野文治 商店街収入増を図るため協栄生命とタイアップし独自の団体保険開始。四宮集会所夏祭り参加。商店街将棋大会。商店街個店診断を区に依頼。交通安全パレード「兎と亀」で参加。
昭和61年度
(1986年)
天野文治 特記すべき事項はないが、例年通りの事業が順調に行われた。
昭和60年度
(1985年)
天野文治 街頭放送開始。テニス、将棋、卓球サークルを厚生部事業に組み入れる。
昭和59年度
(1984年)
天野文治 不要品即売会実施。八丈島商店街へ旅行。交通パレード花自動車にて参加。
昭和58年度
(1983年)
天野文治 振興組合として組織の見直しを行う。ソフトボール大会に婦人部模擬店出店。交通安全パレード参加。
昭和57年度
(1982年)
宮崎隆 大丸ピーコック井荻駅前進出反対運動。北部ブロック大型店対策協議会会合。ファミリーソフトボール大会2回実施。スタンプ事業断絶。電話早見表作る。杉商連30周年祝賀会
昭和56年度
(1981年)
宮崎隆 創立30周年記念行事としてテレビ番組「街ぐるみ歌合戦」に出演。記念売出し「新宿コマ劇場招待」実施。(エプロンシールにて)11月婦人部「いずみ会」結成。
昭和55年度
(1980年)
田村駒太郎 朝市で不要品即売会開催し交通遺児に寄付。第2期スタンプサービス(エプロンシール)実施。
昭和54年度
(1979年)
田村駒太郎 街路灯新型に改修。94本新設を記念して祝賀会。8月、初代理事長池田氏他界。スーパー花正出店。第3回商店街診断を受診。
昭和53年度
(1978年)
田村駒太郎 朝市、上井草デー、献血の会、交通安全パレードなど恒例化し安定。しかしスーパーなどの進出で商店街の景気は後退。
昭和52年度
(1977年)
田村駒太郎 荻窪駅前再開発問題起こる。子供の井草囃連結成し、初演奏を祭礼屋台上で行う。
昭和51年度
(1976年)
田村駒太郎 第一回朝市開催。3時間。以後隔月定例。青ふうチェーン、ヨークマート、稲毛屋進出。対策に苦慮。青年部、祭礼にチャリティーショー。
昭和50年度
(1975年)
田村駒太郎 自治会の防災訓練に商店街として参加。祭礼に演芸奉納。スーパー進出に反対運動。
昭和49年度
(1974年)
堀井進 厚生部主催、青年部共催「上井草デー」の新設。第一回は「住民ぐるみの運動会」井草中学で夏に実施。理事の定年制採択(若返り策)。杉商連野球大会で青年部優勝
昭和48年度
(1973年)
堀井進 親子親善ソフトボール大会開催(青年部)。地代値上げに商店街仲介、円満解決。下水道工事着工。自治会と協力し自衛消防団結成(若草会中心)
昭和47年度
(1972年)
堀井進 厚生部活動。豊島園プール割引券発行。弁当菓子サーヴィスで歓迎される。杉並ゴミの焼却場設置問題起こる。総力で反対運動。
昭和46年度
(1971年)
堀井進 青年部活動の一環「町全体に音楽を」商店街内7カ所にスピーカー設置。終日音楽ないし宣伝放送。自治会と連携し交通無事故安全宣言を採択。交通少年団を設置。
昭和45年度
(1970年)
堀井進 5月29日第一回「上井草献血の会」の日。青年部活躍。駅西側踏切の閉鎖問題発生。再三の話し合い閉鎖せず解決。
昭和44年度
(1969年)
堀井進 青年部として若草会発足。初代部長寺島敏男。野球大会、ボーリング大会ほか若草会活躍。12月1日第一期スタンプ事業開始。
昭和43年度
(1968年)
堀井進 青年層の英気ますます盛ん。経営講習会、再開発講習会などに多数の参加者。
昭和42年度
(1967年)
堀井進 全街路灯を水銀灯に改修。総本数72本。厚生部にて海水浴実施。バス3台111名参加。新事務所を上井草3丁目36番に移転
昭和41年度
(1966年)
池田検治 上井草商店街振興組合に改組。5月23日創立総会を三菱グラウンドにて開催。組合員105名、出資金1065000円。大師湯脇に事務所設置
昭和40年度
(1965年)
池田検治 商店街振興組合への準備委員会発足。近隣の振興組合を調査、勉強会に力いれる。
昭和39年度
(1964年)
池田検治 上井草の配水場建設に賛否両論。公共性優先で4月より着工。
昭和38年度
(1963年)
池田検治 駅構内に交番設置。ごみの収集開始。
昭和37年度
(1962年)
池田検治 商友会会長は自動的に上井草自治会の理事の一員となる。
昭和36年度
(1961年)
堀井進 商店街内のすべての公道の舗装完了。住居表示の変更により線路北側は井草に。
昭和35年度
(1960年)
堀井進 木製街路灯を金属製とし38本を63本に増設。それに伴い盛大なパーティー開催。商友会シンボルマーク一般募集。一般の顧客を含めた運動会を井草中学で開催
昭和34年度
(1959年)
寺島直吉 商友会内の道路も次第に混雑し、人気の七夕祭りもこの年で終了。
昭和33年度
(1958年)
堀井進 家庭にテレビ普及。街頭テレビは撤去となる。
昭和32年度
(1957年)
堀井進 商友会から杉商連に、常任理事として代表を送る。第一回商店街診断を受ける。会員70名を越える。金融部創立。
昭和31年度
(1956年)
本橋治明 電話50本が商友会内の商店に布設。街頭テレビが尾張屋(現蘭蘭)横の空地に設置。厚生部の旅行会、年2会恒例に。
昭和30年度
(1955年)
堀井進 商友会に納税貯蓄組合を設立。七夕祭りを開催。
昭和29年度
(1954年)
山本初男 優良店員の表彰式が初めて行われ、以後恒例化する。バス道路が簡易舗装に。委託公衆電話第一号が堀井薬局に。会費+街路灯維持費200円に
昭和28年度
(1953年)
堀井進 組織活動として、電話敷設、道路舗装、道路側溝等の陳情合戦はじまる。街路灯全部、自治会より商友会に移管された。会費100円
昭和27年度
(1952年)
寺島直吉 商店街内に22本の木製街路灯設置される。上井草球場にて映画人野球大会開催、商店街より売店(菓子袋、サイダー販売)
昭和26年度
(1951年)
谷実夫 上井草商友会(現在の上井草商店街振興組合)発足。会長、谷実夫。副会長、堀井進。会員28名、月額会費50円、総額1400円。中元年末売出し実施。

昭和40年度までは会長。昭和41年度以降は理事長。